シャトー・オー・ブリオンを語る際に欠かせないキーワードが“エレガント”と“香り高さ”である。
オー・ブリオンはロバート・パーカー氏に「豊かな香りとエレガントさではオー・ブリオンの右に出るものはいない。この1級シャトーは世界でもっともエレガントでアロマの複雑なワインを作っている。1980年代初め以降、オー・ブリオンほどの一貫性と輝かしい品質を示すワインは他にない。」とまで言わしめた。
類まれな香りとともに複雑でエレガントな風味と、まろやかでたっぷりとした旨みを味わうことができる極上のワインです。
また、シャトー・オー・ブリオンは優れた凝縮感を持ち合わせており、多くは若いうちから飲みやすいにも関わらず、ゆっくり寝かせると重みと共に滑らかな舌触りも20年を超える熟成にも耐え、上質なワインが出来上がります。
シャトー・オー・ブリオンは1855年のメドック格付けで当時からあまりにも有名であったため、5大シャトーと呼ばれる1級に格付けされたワインのなかで唯一グラーヴ地方から選ばれたワインです。
オー・ブリオンは、ナポレオン戦争で敗れたフランスの救世主と言われています。敗戦により国の崩壊という危機に追い込まれていたフランスの外相タレイランは、敗戦国の処遇を決める1814年の「ウィーン会議」で、連日連夜、各国代表にオー・ブリオンを振る舞いました。これによって各国代表も態度を軟化させ、フランスは敗戦国でありながら領土をほとんど失うことなく乗り切ることができたというのです。
歴史を変えるほどの実力をもつワイン。それがシャトー・オー・ブリオンであり、それを可能にするほどの実力は他のワインとは桁違いのものであることは間違いありません。
しばしば「軽い」「外交的」と表現されることもあるが、
決して軽いわけではなく、他のメドックワインに比べると、メルローの比率が高いため、
渋みが少なく柔らかさがあり、グラーヴ地区らしい香りや味の調和のとれた、
とても親しみやすいワインなのです。
また、飲み頃も長く非常に多くの人に愛されてきたワインなので、
いまでも社交場では最高の働きをしてくれる、とっておきの1本になることは
間違いありません。
1550年に正式に誕生したシャトー・オー・ブリオンは、当時からボルドーでも優れたワインを生み出すシャトーとして知られていた。後に、その名声をさらに広めるために、海外市場のイギリスへ進出することとなる。1649年、アルノー3世・ド・ポンタック卿がオー・ブリオンの所有者となり、ワインの人気が本格的になった。
オー・ブリオンのワインについての最初の記録は、チャールズ2世 のワインセラーの元帳で見つかる。1660年から1661年の間に、169本が王の宮廷に収められたのである。1666年、ロンドンの居酒屋で供されたオー・ブリオンは大きな評判となり、特定の畑名で売り出された最初のボルドーワインとなる。
17世紀の終わりまでに、地所の広さは264ヘクタールに達し、そのうち約38ヘクタールがブドウ畑であった。
ワインはしばしばポンタックの名で売り出された。ポンタック家は多くのワイン農園を所有し、この名前を使用することもできたため、オー・ブリオンのワインがいつ作られるようになったかは不明である。
イギリスの哲学者ジョン・ロックは、1677年にボルドーを訪れ、オー・ブリオンの話を残している。
「・・・ポンタックのワインは、イギリスで尊重されているが、最西に向かって開けた、小高い丘の上で造られている。地所は純粋な白い砂で、少量の砂利が混じっている。」
ワインの価格が高まりつつある理由については、「金持ちのイギリス人が、金に糸目をつけないで注文するお蔭」だと書いている。ドイツの哲学者ヘーゲルもまた、ポンタックのワインに魅せられていたが、彼の注文はサン・テステフの他のポンタックワインのものが知られているのみである。
フランソワ・オーギュスト・ド・ポンタックの死により、婚姻で義理の甥となったフランソワ・ジョゼフ・ド・フュメルがオー・ブリオンの3分の2を、3分の1をラトレーヌの領主ルイ・アルノー伯爵が相続する。フュメル一族はまた一時期、シャトー・マルゴーをも所有していた。
1787年、駐仏大使だったトーマス・ジェファーソンが、ボルドーを訪問する。5月25日、彼はオー・ブリオンを訪れ、そのテロワールについて、「オー・ブリオンの土については、かなり詳しく調べた。砂に、丸い石や小さな石、あるいはメドックにふさわしいロームがごく少量混ざっている。彼の記録でオー・ブリオンは、第1級ワインの産地4つの間に位置付けられている。オー・ブリオン、3分の2はド・フュメル伯爵の所有であり、バルトンと呼ばれる商人にその収穫を売り渡した。残り3分の1はトゥールーズ伯爵のものであり、合わせるとシャトーは75バレルを算出することになる。」と述べている。
オー・ブリオンは、第1級ワインの中では、初めて公式にアメリカ合衆国に輸入されたワインとなった。ジェファーソンは、この旅でオー・ブリオンを6ケース購入し、バージニア州の自分の屋敷に送らせたのである。
フランス革命の結果、1794年7月、ジョゼフ・ド・フュメルはギロチンにかけられ、彼の資産は分割された。その死後、ド・フュメルの相続人はジョゼフの赦免状と没収された資産の補償を入手したが、彼らはフランスを去った。1801年、オー・ブリオンは、ベネヴェント公爵でもあったタレーランに売却され、彼は3年間オー・ブリオンを所有していた。
1804年から1836年はオー・ブリオンの停滞期となり、所有者が次々と代わっていき、最後に競売にかけられたオー・ブリオンをジョゼフ=ウージェーヌ・ラリューが購入する。1841年にはシェ・ヌフ(「新しい酒蔵」の意)をカトラン公爵から購入して、1694年のフランソワ=オーギュスト・ドポンタックの死以来ばらばらになっていた地所を、元のように一つにまとめた。ラリュー家は1923年までオー・ブリオンの所有者であった。
パリ万国博覧会開催に際し行われた1855年のボルドーワインの格付けで、シャトー・オー・ブリオンは第1級に位置付けられ、他の3本がメドック産であった中、唯一のグラーヴ産第1級ワインとなった。19世紀、オー・ブリオンの価格は、他のどのボルドーワインよりも常に高価であった。
困難な時期が続いて、どの所有者も不成功に終わった後、1935年5月13日、アメリカの銀行家クラレンス・ディロンがシャトー・オー・ブリオンを 2,300,000 フランで購入する。この獲得にまつわって真偽のはっきりしない逸話がいくつか出回り、ディロンは、シャトー・シュヴァル・ブラン、シャトー・オーゾンヌやシャトー・マルゴーの大部分をも購入しようとしていると思われていた。しかし彼は、ボルドーや乗馬施設への交通の便の良さでオー・ブリオンを選んだという。ディロンは車から降りようともしなかったという逸話さえも存在する。
ディロンは、甥のセイモア・ウェラーを新会社「ソサイエティ・ヴィニコール・ド・ラ・ジロンド」(のちにドメーヌ・クラランス・ディロン社と改名)の社長に据える。彼は50年間この仕事を務め、庭園を整備し直し、ワイン蔵を清掃し、新しい醸造装置と電気を導入した。彼はジョルジュ・デルマスを、オー・ブリオンの支配人兼責任者として1921年から雇用、ジョルジュはシャトー・コス・デストゥルネルの農場責任者も務めた。
オー・ブリオンは最初に、古いデキャンターの型を模したその特徴的なボトルを1958年のヴィンテージ(発売は1960年)から使用し始めた。
ジョルジュ・デルマスは1961年に引退、オー・ブリオンで生まれ育った息子のジャン=ベルナール・デルマスが後を引き継ぎ、いくつもの革新に取り組んだ。1960年代、オー・ブリオンは大きな生産所としては初めて、新しくステンレス鋼の発酵タンクを導入した。1972年にはINRAと農業省の協力を得て、分枝栽培のクローン選別の研究に取り組み始めた。たった1種類のクローンからでは素晴らしいワインは生まれないと主張して、ジャン=ベルナール・デルマスは、「優れたクローンがたくさん要る」そして「我々は、それぞれの木がどこに植わっているかを知っている」と述べた。オー・ブリオンでは、ヘクタールごとに10~15の異なった選別のクローンが植わっていたにもかかわらずである。
1975年、83歳でセイモア・ウェラーは社長を引退した。彼のいとこの娘でクラランス・ディロンの孫娘ルクセンブルク大公国大公子シャルル・ド・リュクサンブール妃、のちのムシー公爵夫人ジョアン・ディロンがその責を継いだ。1976年には、歴史的なワインの品評会「パリの審判」で、フランスやカリフォルニアの赤ワインの中からオー・ブリオンの1970年のヴィンテージが、第4位に位置付けられた。
オー・ブリオンとシャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオンとは、数年にわたって激しい競争関係にあり、1970年代から1980年代初期にそのピークを迎えたが、ドメーヌ・クラランス・ディロンが1983年にラ・ミッションを購入することでその競争も終了している。2007年のヴィンテージ以降、ディロン家が所有権を得て75周年になるのを記念し、新しくセカンド・ワインがラ・クラランス・ド・オー・ブリオンの名で発売されている。
シャトー・バーン・オー・ブリオンの名は、ヴィンテージの表示なしで販売された期間、少なくとも1世紀にわたって使われていた。
支配人のジャン=ベルナール・デルマスは2003年に引退し、彼の息子のジャン=フィリップ・デルマスが後を継いだ。ルクセンブルク大公国公子ロベール・ド・リュクサンブールは、18歳からオー・ブリオンの取締役を務め、2008年にはドメーヌ・クラランス・ディロンの副社長となった。現在でも、シャトー・オー・ブリオンは多くの人々に愛され続けるために進化を続けている。
オレンジの花やレモン、メロン、砕いた岩、スパイスと花の香りが感じられます。
センセーショナルで挑発的な辛口白ワインです。
タイプ: | 白 |
サイズ: | 750ml |
生産地: | フランス > ボルドー |
生産年: | 2009 |
57% カベルネソーヴィニョン、23% メルローを主体にブレンドされたワイン。
コージャスな紫色でブルーベリー香があります。
タイプ: | 赤 |
サイズ: | 750ml |
生産地: | フランス > ボルドー |
生産年: | 2010 |
畑とセラーに多額の資金を投入した結果、グラーヴの模範的なワインを生み出しています。
オーブリオンの白は生産量も少なく秀逸なワイン。
タイプ: | 白 |
サイズ: | 750ml |
生産地: | フランス > ボルドー |
生産年: | 2009 |
1989年を髣髴させるような驚くほど滑らかでクリーミーさがあるにもかかわらず、
未だかつてないほどの溌剌としたフレッシュ感を感じさせます。
タイプ: | 赤 |
サイズ: | 750ml |
生産地: | フランス > ボルドー |
生産年: | 2010 |
1989年のBahans-Haut-Brion以来、最高のワインとなった。
エレガントなミネラル感、黒チェリー等の果実香のミックス、アースや森林も思わせる。
タイプ: | 赤 |
サイズ: | 750ml |
生産地: | フランス > ボルドー |
生産年: | 2010 |
素晴らしいお香、焼けた後、森林、黒チェリーの香りがあります。
新鮮さがありリッチで、ミネラルと骨格が感じられます。 1989以来最高のセカンドワインです。
タイプ: | 赤 |
サイズ: | 750ml |
生産地: | フランス > ボルドー |
生産年: | 2009 |
●クレジットカード決済
ご利用頂けるクレジットカードは下記となります。
●銀行振り込み
振込手数料はお客様のご負担となります。
なお、商品の発送は入金確認後となります。
【お振込先】
楽天銀行 第一営業支店
支店番号:251 普通預金
口座番号:7327258
クロスフィールド株式会社
●送料について
普通便:640円
クール便:+200円
税込み11,000円以上のご注文で送料無料!
お買上げ金額が税込み11,000円に満たない場合は
全国一律640円の送料がかかります。
(沖縄・離島の場合は別料金がかかります)
未成年者の飲酒は法律で禁止されています。
ご購入は20才以上の方に限らせていただきます。
商品一覧
Copyright (C) CROSSFIELD Inc. All Rights Reserved.
禁無断複製、無断転載。このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。